53歳、両親が遺した山沿いの家。3年間、誰も住まないまま、ただ雨戸を閉めていた。

登場人物

真一(しんいち)、53歳。神奈川県藤沢市在住。都内のIT企業に勤務。妻と高校生の娘の3人暮らし。5年前に母を、3年前に父を亡くした。静岡の山沿いにある実家は、両親が亡くなってから誰も住まないまま、3年が過ぎようとしている。

3年ぶりに、実家の鍵を開けた。

玄関のドアが、少し重かった。湿気を吸った木が、蝶番の動きをきしませる。中に入ると、冷たい空気が頬に触れた。人の暮らした気配が、かすかに残っている。でも誰もいない。電気のスイッチを入れても、3年前にブレーカーを落としたままだから、ランプは点かない。

真一は、懐中電灯で居間を照らした。

父が60代で建てた、山沿いの家

静岡の、川沿いから少し山の方へ入ったところに、両親の家はあった。父が60代で定年退職したあと、「最後は緑のあるところで暮らしたい」と言って、築30年の中古住宅を買ってリフォームした家だった。木の梁がむき出しの天井、大きな掃き出し窓、その向こうに見える畑と杉林。母はその家を気に入った。「鳥の声で目が覚めるのよ」と、電話口で何度も言っていた。

母は、その家で8年暮らして、癌で亡くなった。母を見送ったあと、父は一人で4年、その家で暮らした。畑で野菜を作り、縁側で新聞を読み、夕方になると母の写真の前で線香をあげていた。真一が月に一度帰ると、父は嬉しそうに野菜を持たせてくれた。「お母さんのレシピで作ったぞ」と、味噌汁を温め直してくれた。

父が倒れたのは、3年前の冬だった。縁側で倒れているのを、近所の人が見つけてくれた。救急車で運ばれたが、間に合わなかった。享年72。

3年間、雨戸を閉めたまま

葬儀が終わって、四十九日が過ぎて、相続の手続きをしているうちに、家のことは後回しになった。真一は神奈川で働いていて、娘はまだ中学生で、妻も仕事を持っていた。静岡まで片道3時間。毎週帰ることはできなかった。

売るという選択肢は、早い段階で浮かんだ。だが踏み切れなかった。父が「最後の家」と決めて建てた家を、他人に売り払うことに、胸が引き裂かれるような抵抗があった。母が縁側で編み物をしていた家、父が縁側で新聞を読んでいた家。その家が解体されて更地になり、見知らぬ誰かの建売住宅になる未来を、真一はどうしても思い描けなかった。

だから、3年間、ただ雨戸を閉めていた。年に2回、業者に頼んで草を刈ってもらった。固定資産税を払い続けた。それだけだった。

居間を懐中電灯で照らして、真一は気づいた。壁の木目のあたりに、黒いシミが広がっていた。雨漏りだ。天井の角にも、同じようなシミがある。畳を指で押すと、湿っていて少し沈んだ。放っておけば、この家は朽ちていく。父と母が大切にした家が、誰にも使われないまま、少しずつ崩れていく。

真一は縁側に座った。杉林の向こうから、鳥の声が聞こえた。母がよく言っていた、あの鳥の声だった。

「空き家 活用 田舎」と検索した夜

神奈川の家に帰った夜、真一はスマホを開いた。「空き家 活用 田舎」と打った。

売る以外の道があるのかもしれない。他人に住んでもらうことで、家を生かし続ける方法があるのかもしれない。そう思った。

検索結果をスクロールしていくうちに、民泊やレンタルスペース、貸し別荘として活用する方法があることを知った。古い戸建てでも、山沿いの立地でも、むしろそれが価値になる使い方がある。築年数が古い家、立地が都心から遠い家ほど、民泊や貸し別荘としては魅力的になることがある。相場より高い賃料で、早期に借り手がつく例もあるという。

画面を見ながら、真一は思った。売らなくていい。朽ちさせなくてもいい。あの家を、誰かの旅の場所として、誰かの休日の場所として、生かし続けることができるかもしれない。

父と母がその家で過ごした日々を、知らない誰かが、別の形で引き継いでくれるかもしれない。杉林の向こうの鳥の声を、他の誰かの朝が聞いてくれるかもしれない。

真一は、無料相談の申込フォームを開いた。

真一が相談したのは、ここだった

※査定無料。全国対応

査定の日、縁側で担当者と話した

担当者が静岡まで来てくれたのは、2週間後だった。真一は有給を取って、実家で待っていた。朝から雨戸を全部開けて、久しぶりに家に光を入れた。畳を拭き、仏壇に線香をあげて、父と母に報告した。今日、この家をどう使うか、話し合うよ、と。

担当者は家を丁寧に見て回った。天井のシミも、湿った畳も、古い風呂場も、全部メモを取った。それから縁側に一緒に座って、いろいろな選択肢を説明してくれた。民泊として運用する場合、貸し別荘として運用する場合、シェアハウスにする場合。それぞれの収益の目安、必要なリフォーム、手続きの流れ。

真一が最後に聞いたのは、一つだった。「この家に、ちゃんと人が住んでくれますか」。

担当者は、少し間を置いてから答えた。「この立地と雰囲気なら、貸し別荘として、きっと長く愛されますよ。都会の喧騒を離れたい方が、週末に通ってくださるはずです」

真一は、縁側から庭を見た。母が植えた紫陽花が、3年の間にずいぶん大きくなっていた。誰にも見られないまま、それでも毎年、花を咲かせていた。

もしあなたも、親の家を持て余しているなら

親が遺した家を、どうするか。売るには忍びない。でも、管理し続けるのは難しい。毎年の固定資産税と草刈り代だけが、淡々と出ていく。家は少しずつ傷んでいく。その現実から目を背けたくて、雨戸を閉めたまま何年も過ぎていく。

売るか、放置するか。その二択だと思い込んでいたかもしれない。でも、家を生かし続ける方法は、他にもあります。誰かの旅の夜、誰かの休日の朝に、その家の縁側が使われていく。親が大切にした空気を、別の誰かの時間が満たしていく。

家に、もう一度、灯りをつける

※空き家・空室・土地、どんな条件でも相談可能

契約が決まったのは、それから3ヶ月後だった。貸し別荘として運用されることになった家を、真一はもう一度訪ねた。最後の片付けの日だった。母の編み物道具を、段ボールに詰めた。父が畑で使っていた鍬を、物置にそっと戻した。

縁側で、父の写真を手に取った。写真立ての裏に、母の字で短い言葉が書いてあった。「この家で、ずっと二人で」。いつ書いたものか、真一は知らなかった。

家を出る前に、真一は玄関で深く頭を下げた。「お父さん、お母さん。この家は、これから誰かが使います。紫陽花は、これからも咲きます。杉林の鳥の声も、誰かが聞いてくれます」

玄関のドアを閉めた。蝶番の音が、3年前よりも少しだけ軽かった。

山沿いの道を車で下りていくとき、バックミラーに家が小さく映っていた。雨戸が、全部開いていた。