雅人(まさと)、54歳。静岡県浜松市在住。妻の真紀と二人暮らし。娘の春菜(26歳)は横浜で働いている。20歳のときに買ったヤマハのSR400が車庫の奥に眠っている。カバーをかけたまま、20年。
車庫の奥に、カバーをかけたままの影がある。
今年の春、車庫を片づけることになった。使わなくなった棚を処分して、タイヤを整理して、奥のほうまで手が届いたとき、グレーのカバーに触れた。20年間、ここにあった。わかっていた。見えないふりをしていただけだった。カバーの端を掴んで、引いた。埃が舞った。車庫の蛍光灯の光の中に、ヤマハのSR400が現れた。タイヤの空気は完全に抜けていて、チェーンは赤く錆びていた。でもタンクの丸みは、あの頃のままだった。
20歳の夏、初めてのバイク
SR400を買ったのは20歳の夏だった。浜松はヤマハの街で、バイク乗りが多かった。同級生たちが次々と免許を取る中で、雅人も遅れまいとバイトで貯めた金を握りしめて、駅前のバイク屋に行った。
SR400はキックスタートでしかエンジンがかからない。セルモーターがない。右足でキックペダルを踏み下ろして、自分の力でエンジンに火を入れる。最初の1ヶ月は、朝の駐車場で何度も空振りして、汗だくになっていた。コツを掴んだのは秋口で、ようやく一発でかかるようになったとき、体の奥で何かが繋がった感覚があった。自分の足で、この機械を起こしている。その手応えが、たまらなく好きだった。
日曜の朝、浜名湖沿いの道を走った。湖面が朝日を受けて銀色に光っていて、風の中に潮の匂いが混じっていた。エンジンの単気筒の鼓動が、トットットッと一定のリズムを刻む。心臓の鼓動と重なるような感覚があって、走っているのか、生きているのか、その境目がわからなくなる瞬間があった。
パンクした原付と、手作りの弁当
真紀と出会ったのは22歳の秋だった。ツーリング仲間と浜名湖沿いを走っていたとき、路肩に原付が止まっているのが見えた。女性が一人、しゃがんでタイヤを見ている。雅人は仲間に「先行っといて」と手を振って、バイクを寄せた。
「パンクしちゃって」。真紀は困った顔で笑った。工具を持って駆け寄って、タイヤを外した。近くにバイク屋はない。原付を押して、2キロ先のガソリンスタンドまで歩いた。真紀は隣を歩きながら、「バイク詳しいんですね」と言った。詳しくはなかった。SR400を買ってから、自分でいじるようになっただけだった。「まあ、多少は」と答えた。格好をつけたかった。
翌週の日曜、真紀から連絡が来た。お礼がしたいと言う。浜名湖が見えるベンチで待ち合わせた。真紀が包みを開くと、手作りの弁当が入っていた。卵焼きとから揚げと、おにぎりが3つ。「作りすぎちゃった」と真紀は笑ったけれど、3つのおにぎりは全部、海苔の巻き方が丁寧だった。作りすぎたのではなく、最初から二人分作ってきたのだと、雅人にはわかった。風が吹いて、真紀の髪が横に揺れた。湖が光っていた。おにぎりの塩気が、妙においしかった。
タンクの上で笑っていた3歳の春菜
26歳で結婚して、28歳で春菜が生まれた。SR400は週末だけの乗りものになった。でもまだ降りてはいなかった。
春菜が3歳のとき、車庫でSR400を洗っていたら、春菜がよちよちと歩いてきた。「のる」と言った。雅人はタンクの上に春菜をまたがらせた。春菜の短い足はステップにも届かない。両手でタンクにしがみついて、でも怖がらなかった。口を開けて笑った。真紀が玄関から「何やっとるの」と声をかけながらカメラを持ってきて、シャッターを押した。
その写真は、今も雅人の財布の中にある。折り目がついて、色が少し褪せている。でも春菜の笑顔は、26年前のまま、タンクの上で光っている。
春菜が小学校に上がる年に、バイクを降りた。真紀は「危ない」とは言わなかった。幼稚園の送り迎えを車でするようになって、バイクに乗る朝がなくなっただけだった。SR400にカバーをかけた。「また乗る」と思っていた。
「また」は、20年間来なかった。
キックを踏んだ。エンジンは、かからなかった
カバーを外したSR400の前に立って、右足をキックペダルにかけた。20年ぶりの感触。ペダルの位置は、足が覚えていた。
踏み下ろした。空振り。もう一度。空振り。3度目。何も起きなかった。あの頃は一発でかかったのに。20歳の秋にコツを掴んで、それからずっと一発でかけていたのに。
20年間、一度もキックされなかったエンジンは、もう自力では起きなかった。雅人はキックペダルに足を乗せたまま、しばらく動けなかった。車庫の蛍光灯がジジジと鳴っていた。
真紀が車庫を覗きに来た。SR400を見て、「このバイク、まだあったんやね」と言った。雅人は「ああ」とだけ答えた。タンクに目をやった。春菜を乗せた場所。あの笑顔は財布の中にある。でもこのバイクは、もう走れない。走れないバイクを、いつまでもここに置いておくわけにはいかない。カバーをもう一度かけ直した。でも今度は、「また乗る」とは思わなかった。
「バイク 買取 不動車」と検索した夜
その夜、布団の中でスマホを開いた。「バイク 買取 不動車」と打った。動かないバイクでも買い取ってくれるところがあるのか知りたかった。
検索結果の中に、バイク買取の専門店が出てきた。不動車でも事故車でも買取OK。全国出張無料で、その場で現金買取。廃車手続きの代行も無料。エンジンがかからなくても、車検が切れていても、引き取りに来てくれる。
SR400は中古市場で人気があるとも書いてあった。生産終了した今、状態が悪くても値段がつく可能性がある。20年間眠っていたSRに、まだ価値がある。そのことに、少しだけ救われた気がした。ゴミとして捨てるのではなく、次に乗ってくれる誰かのところへ届けられるなら。
雅人が見つけたのは、ここだった
※全国出張無料。不動車・車検切れもOK
査定員がキックペダルに足をかけたとき
出張査定を申し込んだ。数日後、査定員が来てくれた。30代くらいの男性で、車庫の前にSR400を引き出すのを手伝ってくれた。タイヤの空気が抜けているから、二人で押して出した。
査定員がSR400の周りをゆっくり回った。タンクの状態を見て、フレームを確認して、チェーンの錆を見た。そしてキックペダルに足をかけた。踏み下ろした。もちろん、かからなかった。でも査定員は「キックの感触はいいですね。圧縮はまだ生きてるかもしれません」と言った。
20年間動かなかったエンジンの中に、まだ生きているものがある。その言葉が、思った以上に胸に響いた。
査定員はタンクを手で撫でながら言った。「SR400、いいバイクですよね。僕も学生の頃に憧れてました。キックでしかかからないっていうのが、またいいんですよね」。雅人は「ああ」とだけ答えた。この人はわかっている。セルモーターがないことを不便だと思う人には、SRの良さはわからない。自分の足でエンジンを起こす、あの手応えを知っている人だった。
査定額が出た。20年間放置した不動車に、想像していたよりずっと高い値段がついた。SR400は生産終了モデルで、中古市場での需要が高い。キャブレター車の個体が減っている今、レストアして乗りたい人がいる。そう説明してくれた。
「大切にされてたのがわかります。次のオーナーにちゃんとつなぎますね」
「お願いします」
雅人がそう言ったとき、声がわずかに詰まった。査定員は気づいていただろうけれど、何も言わなかった。SR400がトラックに積まれていくのを、車庫の前で見ていた。タイヤが地面を離れた。20歳の夏に駅前のバイク屋から乗って帰ってきた道を、今度はトラックの上で、逆向きに走っていく。角を曲がって、見えなくなった。
もしあなたの車庫にも、カバーをかけたままのバイクがあるなら
「また乗る」と思って置いてある。でも、何年も経った。エンジンはもうかからないかもしれない。それでも、あのバイクにはまだ価値がある。次に乗りたい人が、どこかにいる。ゴミにするのではなく、その人のところへ届けてやりたい。そう思うなら、バイクの価値がわかる人に託してほしい。
動かなくなったバイクにも、次の道がある
※その場で現金買取。廃車手続き代行無料
SR400がいなくなった車庫は、急に広くなった。壁際に、タイヤの跡がうっすら残っている。20年間同じ場所にいたから、コンクリートの色が少しだけ違う。
その夜、財布から写真を取り出した。タンクの上で笑っている3歳の春菜。折り目がついて、色が褪せている。でも笑顔だけは、あの日のまま。
スマホを手に取って、春菜に電話した。久しぶりの電話に、春菜は少し驚いた声を出した。
「春菜、SR400って覚えとる?」
「覚えとるよ。あのバイクでしょ。タンクに乗せてもらったやつ」
覚えていてくれた。3歳の記憶なんて残っていないだろうと思っていた。でも春菜は覚えていた。タンクの丸みも、雅人の大きな手が背中を支えてくれていたことも。
「今日な、あのバイク手放したんや」
「そっか。寂しいね」
「ああ。でも、次に乗ってくれる人がおるらしい」
「よかったね。あのバイク、また走れるんやね」
電話を切ったあと、雅人は財布の写真をもう一度見た。タンクの上の春菜。あの丸いタンクは、もうここにはない。でも、あのタンクの上で笑った春菜は、横浜で元気に暮らしている。バイクは手放しても、あのタンクの上の時間は、財布の中でずっと光っている。

