義男(よしお)、59歳。石川県金沢市在住。妻の節子と二人暮らし。19歳で父からフィルムカメラをもらい、39年間写真を撮り続けてきた。去年、緑内障と診断されてからファインダーを覗かなくなった。カメラバッグはリビングの隅に半年間、閉じたまま。
日曜の朝、5時に目が覚めた。
布団の中で天井を見ていた。以前なら、この時間にはもうカメラバッグを肩にかけて玄関を出ていた。三脚を車に積んで、犀川か兼六園か、能登まで足を伸ばすこともあった。今は布団の中で、天井の木目を数えている。隣で節子が静かに寝息を立てていた。
起き上がって、リビングに行った。本棚の横に、黒いカメラバッグが置いてある。半年間、開けていない。ジッパーに指をかけた。少しだけ引いて、中のNikonが見えた。くすんだ黒いボディ。またジッパーを閉じた。
父がくれたカメラで、最初に撮ったのは犀川だった
写真を始めたのは、19歳のときだった。父が若い頃に使っていたフィルムカメラを、「もう使わんから」と渡された。Nikonの、ずしりと重いカメラだった。使い方は自分で調べた。フィルムの入れ方、絞りの意味、シャッタースピードの関係。図書館で本を借りて覚えた。
最初に撮ったのは、犀川だった。冬の朝、川面から湯気のように靄が立ち上がっていて、その向こうに山が霞んでいた。シャッターを切ったとき、指先が凍えていた。フィルムを現像に出して、プリントを受け取ったとき、あの朝の冷たさがそのまま写真の中にあった。自分が見た景色が、紙の上に残っている。そのことに、19歳の義男は震えた。
息子が転んで笑った日も、娘が首を傾げた日も
それから39年、義男はずっとカメラを持ち歩いた。風景ばかり撮っていたはずが、子どもが生まれてからは、ファインダーの中に家族が入るようになった。
12月の兼六園に家族で行った日があった。息子の大輝が4歳で、赤いダウンジャケットを着て走り回っていた。池に薄い氷が張っていて、「パパ、氷!」と叫んだ瞬間にカメラを構えた。大輝はそのまま足を滑らせて転んだ。泣くかと思ったら、地面に座ったまま口を大きく開けて笑い出した。シャッターを切った。あの朝の空気の冷たさも、大輝の声も、ファインダーの中で見たあの笑顔も、全部まだ指先に残っている。
娘の真帆の七五三は、尾山神社の石段で撮った。着物の裾を気にしながらおずおずと立っている真帆に、「こっち見て」と声をかけた。真帆が少しだけ首を傾げた。その角度が、節子に似ていた。帰ってきてプリントを見ながら、節子に言った。「この子、首傾げるとお前に似とるな」。節子は「そうかな」と笑った。あの写真は今も本棚のアルバムの中にある。真帆はもう28歳になった。
節子を撮った写真もある。能登の千里浜で、車から降りた瞬間を撮った。節子は撮られたことに気づいていなかった。風で髪が横に流れていて、波打ち際を裸足で歩き出そうとしている。あとでパソコンの画面を見せたら、「こんな顔しとったん」と笑われた。「いつもこの顔しとるよ」と答えた。あの瞬間、ファインダーの中の節子は、本当にいい顔をしていた。
ファインダーの端が、暗くなった
去年の秋、眼科で緑内障と言われた。視野の端が少しずつ欠けていく。点眼薬で進行を抑えることはできるけれど、失った視野は戻らない。日常生活には支障がない。新聞も読めるし、テレビも見える。
でも、ファインダーを覗いたとき、端のほうが暗い。
構図を決めるとき、見えていないものがある。撮った写真をパソコンで確認すると、フレームの端に意図しなかったものが写り込んでいた。自分の目が見落としたものを、カメラだけが見ている。39年間、ファインダーの中で世界を切り取ってきた。自分の目で見て、自分の指でシャッターを切る。それが義男の写真だった。目が信じられなくなったら、もう撮る意味がなかった。
ある日曜の朝、5時に起きて、カメラバッグに手を伸ばして、途中で止めた。そのまま新聞を開いた。その日から、カメラバッグは閉じたままになった。
「ゴミにはしたくない」
ある夜、一人でアルバムを開いた。本棚から1冊取り出して、台所のテーブルの上で、ゆっくりページをめくった。犀川の靄。大輝の笑顔。真帆の首の傾き。千里浜の節子。
指で写真をなぞった。どの写真も、撮ったときの空気を覚えている。あの朝の温度、あのときの光の角度、シャッターを押す直前に自分が何を考えていたか。写真には写らないものが、全部ファインダーの記憶として、義男の中に残っていた。
アルバムを閉じて、リビングのカメラバッグを見た。あの中に、39年間の相棒が眠っている。もう一緒に歩けない。でも、このまま棚の飾りにして、自分がいなくなったらゴミに出される。それだけは嫌だった。
翌朝の朝食で、義男は味噌汁を飲みながら言った。「あのカメラな、もう使わんと思う。でも、ゴミにはしたくない。誰かに使ってもらえたら、一番ええんやけどな」。節子はテーブルの向こうで「うん」とだけ答えた。
「カメラ 買取」と打った夜
その夜、スマホで「カメラ 買取」と打った。リサイクルショップに持ち込む気にはなれなかった。39年間手入れし続けたカメラとレンズを、まとめていくらと値踏みされるのは嫌だった。カメラの価値がわかる人に、見てほしかった。
検索結果の中に、カメラ買取の専門店が出てきた。カメラの価値がわかる専門のスタッフが、一つずつ見てくれるらしい。義男はカメラバッグを開けて、半年ぶりにNikonを取り出した。テーブルの上に置いて、スマホで撮った。LINE査定に送った。
義男が見つけたのは、ここだった
※全国対応。出張・宅配どちらも無料。壊れていてもOK
査定員がレンズを覗いて言った言葉
概算の金額が届いた。思っていたより高かった。出張買取を申し込んだ。数日後、査定員が自宅に来てくれた。テーブルの上に、Nikonのボディとレンズ3本と三脚を並べた。
査定員が一つずつ手に取って、レンズの中を覗き、シャッターを切り、ボディの状態を確認していった。「きれいに使われてますね。レンズにカビもクモリもない」。39年間、撮影から帰ると必ずレンズを拭いて、防湿庫に入れていた。カメラは道具だけれど、義男にとっては自分の目の延長だった。
査定額が出た。レンズの1本にプレミアがついていて、合計は義男の想像を超えていた。「お願いします」と言って、カメラを査定員に渡した。39年間握り続けたカメラが、別の人の手に移った。右手が一瞬、テーブルの上で止まった。
もしあなたにも、使わなくなったカメラがあるなら
もう撮らなくなったカメラが、棚の上やクローゼットの中で眠っているなら。あのカメラはまだ、誰かのファインダーの中で景色を見られるかもしれない。
使わなくなったカメラにも、まだ次がある
※LINE査定もOK。梱包キット無料。キャンセル無料
カメラがなくなった翌日の夜、義男はアルバムを棚から出した。台所のテーブルの上に開いた。節子がお茶を持ってきて、隣に座った。
千里浜の写真のページで、義男の手が止まった。風で髪が横に流れている節子。
「この写真、覚えとるか」
「撮られたの、知らんかったよ」
「いい顔しとったから、つい」
「こんな顔しとったんやね、私」
「いつもこの顔しとるよ」
カメラはもう手元にない。ファインダーはもう覗けない。でも39年間、あのカメラが見てきた光は、アルバム30冊分、この本棚に残っている。それを一緒に見てくれる人が、隣にいる。

