55歳、娘が巣立った家で、知らない国の子供に手紙を書いている。冷蔵庫に、二枚の写真を並べた。

登場人物

千鶴(ちづる)、55歳。横浜市在住。病院の受付事務。夫(57歳)と二人暮らし、一人娘(28歳)は結婚して大阪に住んでいる。

朝、テーブルに食器を並べていた。茶碗を三つ出して、一つ多いことに気づいた。

一つを棚に戻しながら、千鶴は少し笑った。もう3年になるのに、まだこういうことがある。娘が大阪に嫁いでから、この家は夫と二人になった。テーブルに並ぶのは、二つの茶碗と二つの湯呑み。朝も夜も、それだけだった。

寂しいとは思わなかった。娘は幸せに暮らしている。それだけで十分だった。でも時々、手が勝手に三人分を出してしまう。身体が、まだ三人の暮らしを覚えている。

娘を育てた28年間のこと

千鶴は27歳で娘を産んだ。夫は会社員で、千鶴はパートをしながら娘を育てた。贅沢はできなかったけれど、娘に不自由はさせなかった。塾に通わせた。大学にも行かせた。娘がやりたいと言ったことは、できる限り叶えた。

娘が小学生の頃、参観日に行くと、娘は教室の隅から千鶴を見つけて、小さく手を振った。その手の振り方が、今でも目に浮かぶ。恥ずかしいから大きく振らないけれど、お母さんが来てくれたことが嬉しくて、指先だけ動かす。あの仕草。

中学では吹奏楽部に入った。コンクールの日、千鶴は客席の一番後ろに座って、娘が演奏するのを聞いた。どの音が娘の音なのか、わからなかった。でも聞いていた。全部聞いていた。

高校、大学、就職。娘は少しずつ遠くに行った。でもそれが、千鶴が望んだことだった。自分の足で立って、自分の人生を歩いてほしい。そのために育ててきた。

28歳で結婚して、大阪に行った。千鶴は笑顔で送り出した。泣いたのは、娘が乗った新幹線のホームを離れた後、駅のトイレの中でだった。

テレビに映った、学校に行けない子供たち

ある日曜日の午後、テレビのチャンネルを変えていたら、途上国の子供たちのドキュメンタリーが流れた。アフリカの小さな村だった。

学校に行けない子供がいた。水を汲むために、毎朝2時間歩く女の子がいた。10歳くらいだった。痩せた腕で、自分の背丈ほどある水がめを運んでいた。その子の目が、画面の向こうから千鶴を見ていた。

千鶴はリモコンを置いた。

自分の娘は、何不自由なく育った。毎朝きれいな水で顔を洗って、ランドセルを背負って学校に行った。千鶴と夫が、そのために一生懸命働いた。それは当たり前のことだと思っていた。でも、画面の中の女の子には、その当たり前がなかった。

千鶴は画面を見ながら、娘の小さかった頃を思い出していた。参観日に指先だけ振った娘。コンクールでどの音かわからなかった娘の演奏。あの子供時代が、安全で、温かくて、ごはんがあって、学校があったこと。それがどれだけ恵まれていたか。

千鶴は自分にできることがあるのだろうか、と考えた。遠い国の知らない子供に、自分が何かできるのだろうか。

1日150円でできること

その夜、千鶴はスマホで調べた。途上国の子供を支援する方法を。

調べていくうちに、1人の子供とつながる支援プログラムがあることを知った。月々4,500円。1日150円。手紙や写真のやり取りを通じて、支援先の子供の成長を見届けることができる。お金は、その子供個人だけではなく、子供が暮らす地域全体の教育や医療、水の整備に使われるという。

1日150円。千鶴が毎朝飲んでいる缶コーヒー1本分だった。その金額で、どこかの子供が学校に通えるかもしれない。水を汲みに2時間歩かなくてよくなるかもしれない。

千鶴は画面を見ながら、何度も考えた。見返りはない。その子に会えるかどうかもわからない。「ありがとう」と言ってもらえるかもわからない。それでも、やりたいと思った。自分の娘を育てたときと同じ気持ちだった。見返りなんて、求めたことはなかった。

千鶴が辿り着いたのは、ここだった

※月々4,500円・1日150円の継続支援

冷蔵庫に、二枚の写真を並べた

登録してしばらくすると、支援先の子供の写真と名前が届いた。アフリカの、10歳の女の子だった。名前はアマラ。写真の中のアマラは、カメラの前で少しだけ笑っていた。大きな目が、まっすぐこちらを見ていた。

千鶴はその写真を手に持って、しばらく見ていた。会ったこともない、言葉も通じない、地球の裏側に住んでいる女の子。でもその目に、千鶴は何かを感じた。娘が小学生の頃、参観日に教室の隅から見ていたあの目と、同じ色をしている気がした。

千鶴は冷蔵庫のマグネットで、アマラの写真を貼った。その隣に、娘の小学校の入学式の写真があった。ランドセルを背負って、少し照れた顔をしている娘。その横に、カメラの前で少しだけ笑っているアマラ。二枚の写真が、冷蔵庫の扉に並んだ。

夫はその写真を見て、何も言わなかった。でも翌朝、コーヒーを入れながら、冷蔵庫の前に立ち止まっていた。アマラの写真をじっと見ていた。千鶴は気づかないふりをした。

初めての手紙

数ヶ月後、千鶴はアマラに手紙を書いた。

何を書いていいか、わからなかった。便箋を出して、ペンを持って、30分間何も書けなかった。自分の名前と、アマラの名前を書いた。それから先が、出てこなかった。

千鶴は娘に手紙を書いたことがなかった。同じ家に住んでいたから、書く必要がなかった。直接話せばよかった。おはよう、いってらっしゃい、おかえり、おやすみ。毎日顔を合わせて、毎日声をかけた。手紙なんて、一度も書かなかった。

今、娘に書かなかった手紙を、知らない国の知らない子供に書こうとしている。

不思議だった。でも、不思議ではなかった。千鶴の中にある「誰かの子供を思う気持ち」は、娘が巣立っても消えなかった。行き場を失っていただけだった。

千鶴は便箋にこう書いた。

「アマラへ。あなたのことを、日本から応援しています。あなたが元気でいてくれたら、それだけでうれしいです。」

それだけだった。気の利いたことは何も書けなかった。でも、それだけで十分だった。見返りは求めない。届くかどうかもわからない。でも書きたかった。自分の中にある、使い切れなかった愛情を、この便箋に乗せたかった。

もしあなたも、誰かのために何かしたいと思ったことがあるなら

子供が巣立った後、ふと手が空くことがある。誰かのために何かをすることが、日常の中心だった人ほど、その空白は大きい。自分の子供は立派に育った。もう手は離れた。でも、誰かを思う気持ちは、消えない。

地球の裏側に、その気持ちを届けられる場所がある。1日150円で、1人の子供の人生が変わるかもしれない。会えなくても、手紙と写真で、その子の成長を見届けることができる。

会えなくても、届く愛がある

※手紙や写真で子どもの成長を見届けられる

半年後、アマラから手紙が届いた。翻訳された日本語の文面と、アマラが描いた絵が同封されていた。赤い花の絵だった。花の横に、小さな文字で何か書いてあった。翻訳には「ありがとう」と書いてあった。

千鶴はその絵を冷蔵庫に貼った。アマラの写真と、娘の入学式の写真と、赤い花の絵。三枚が並んだ。

その夜、千鶴は大阪の娘に電話した。「お母さん、急にどうしたの」と娘は笑った。千鶴は「別に、声が聞きたかっただけ」と言った。

電話を切った後、冷蔵庫の前に立った。三枚の写真と絵を見ていた。娘とアマラ。一人は大阪で幸せに暮らしている。一人は地球の裏側で、少しずつ笑えるようになっている。

千鶴は誰にも言わなかった。見返りは求めない。ただ、この二人の子供が元気でいてくれたら、それだけでいい。それが、千鶴の新しい「母親」の形だった。