59歳、妻の写真集のサントリーニ島のページに、小さな鉛筆の字で「二人で」と書いてあった。

登場人物

昭夫(あきお)、59歳。神奈川県藤沢市在住。測量会社の事務職。妻・敏子(58歳)と二人暮らし。子供二人は独立。来年2027年に60歳で還暦を迎える。

敏子のベッドサイドに、一冊の写真集がある。

世界の風景を集めた写真集。結婚した頃からそこにあった。敏子は毎晩、寝る前に数ページだけめくって、電気を消す。34年間、その習慣は変わらなかった。昭夫はそれを、ずっと隣で見てきた。

34年前、横浜の大さん橋から船に乗った

昭夫と敏子が結婚したのは、昭夫が25歳のときだった。新婚旅行は、横浜の大さん橋から伊豆大島に渡るフェリーだった。大きな旅行ではなかった。一泊二日の、小さな船旅。でも二人にとって、初めて一緒に海を渡る旅だった。

出航のとき、敏子がデッキに立った。潮風が髪を揺らしていた。横浜の街並みが少しずつ遠くなっていった。敏子が海を見て、「きれいだね」と言った。昭夫は「そうだな」と答えた。それだけだった。でもあの瞬間の敏子の横顔を、昭夫は34年経った今も覚えている。

あれ以来、二人で船に乗ったことは一度もなかった。海外に行ったことも、一度もなかった。

34年間、敏子は「行きたい」と言わなかった

子供が二人生まれて、家を買って、住宅ローンを組んだ。子供たちの塾代、大学の学費、成人式の着物。敏子はいつも家計簿をつけて、黙って切り詰めていた。旅行は年に一度、近場の温泉が精一杯だった。

昭夫は測量会社の事務で、給料は多くなかった。残業もほとんどなく、手取りは35年間ほとんど変わらなかった。それでも子供を二人育て上げることができたのは、敏子がやりくりしてくれたからだった。

敏子は一度も「海外に行きたい」と言わなかった。「旅行に行きたい」とも言わなかった。ベッドサイドの写真集をめくるだけだった。ヨーロッパの青い海、白い街並み、夕日に染まる遺跡。敏子はその写真を数ページ見て、静かに本を閉じて、電気を消した。毎晩。34年間。

来年、還暦を迎える

昭夫は来年、60歳で還暦を迎える。定年退職。35年間勤めた測量会社を辞める。子供たちは二人とも独立して、住宅ローンも去年完済した。

ある夕食の席で、敏子が聞いた。「還暦、何かしたいことある?」

昭夫は「特にないかな」と答えた。敏子は「そう」と言って、味噌汁をすすった。

その夜、昭夫は敏子が先に寝たのを確認してから、寝室に行った。敏子はもう電気を消していた。ベッドサイドに、写真集が置いてあった。今夜もめくったのだろう。

昭夫はその写真集を、そっと手に取った。

サントリーニ島のページに、鉛筆の字があった

ページをぱらぱらとめくった。端が折ってあるところが何箇所かあった。ロンドンのページ。ストックホルムのページ。アラスカの氷河のページ。

そして、サントリーニ島のページ。

青い海と白い建物が広がる、ギリシャの島の写真。ページの端が折ってあった。折り目の横に、小さな鉛筆の字が書いてあった。

「二人で」

敏子の字だった。

昭夫はしばらく動けなかった。いつ書いたのか、わからなかった。結婚した頃なのか、子供が巣立った後なのか、昨日の夜なのか。34年間のどこかで、敏子はこのページの片隅に、たった二文字だけ残していた。声に出さずに。昭夫に見せるつもりもなく。ただ、写真の横に、小さく。

34年間、「行きたい」と一度も言わなかった妻が、写真集のサントリーニ島の横に「二人で」と書いていた。

昭夫は写真集を閉じて、膝の上に置いた。隣で敏子が静かに眠っていた。その寝顔を見ながら、昭夫は決めた。

還暦の記念は、これだ。

横浜から出る船を、探し始めた

翌日、昭夫は会社の昼休みにスマホを開いた。「横浜 クルーズ ヨーロッパ サントリーニ島」と検索した。

出てきたのは、世界一周クルーズだった。横浜港を出航して、108日間で地球を一周する船旅。寄港地の中に、サントリーニ島があった。ロンドンも、ストックホルムも、アラスカのフィヨルドも。敏子が写真集のページを折っていた場所が、全部このコースに含まれていた。

2027年4月出航。来年の春。昭夫が還暦を迎える年だった。桜が終わる頃に横浜を出て、夏にヨーロッパを巡って、秋の前に帰ってくる。

昭夫は画面を何度も見返した。34年前、同じ横浜港から伊豆大島行きの小さなフェリーに乗った。あの日、デッキで「きれいだね」と言った敏子を、今度は地球一周の船に乗せてあげたかった。

昭夫が辿り着いたのは、ここだった

※無料資料請求・横浜発着・108日間

「お前に見せたいものがある」

資料が届いたのは、翌週だった。昭夫は封筒を居間のテーブルに置いたまま、敏子が仕事から帰るのを待った。

敏子がテーブルの封筒に気づいた。「なにこれ」

昭夫は「お前に見せたいものがある」と言った。敏子は不思議そうな顔で封筒を開けた。パンフレットの表紙に、青い海と大きな客船の写真があった。

敏子の手が止まった。

「世界一周クルーズ……」

昭夫は言った。「来年、俺の還暦の記念に。横浜から出る船。108日間。ヨーロッパも、アラスカも、回る」

敏子はパンフレットをめくっていた。寄港地の一覧に目を落として、指が止まった。サントリーニ島。ギリシャ。青い海と白い街。

敏子は顔を上げなかった。パンフレットを見たまま、しばらく黙っていた。

「……写真集、見たの?」

昭夫は「見た」と答えた。

敏子は「恥ずかしい」と小さく言った。それからパンフレットを胸に抱えて、しばらく下を向いていた。肩が少し震えていた。泣いているのだと、昭夫は気づいた。34年分の「行きたい」が、今、溢れているのだと。

もしあなたも、大切な人と一緒に見たい景色があるなら

50代になると、子育てが終わり、住宅ローンが終わり、ようやく二人の時間が戻ってくる。若い頃にはできなかったことを、今ならできるかもしれない。還暦の記念に、定年の節目に、大切な人と一緒に、まだ見ぬ世界を見に行く。

横浜から出航する世界一周クルーズは、日本発着で108日間。ヨーロッパ、アラスカ、地中海。写真集の中にあった景色を、自分の目で見る旅。まずは資料を取り寄せるだけでも、気持ちが動き始める。

二人の34年間の、その先へ

※2027年4月出航・ヨーロッパ&アラスカコース

その夜、敏子はベッドサイドの写真集を手に取った。いつものように、数ページめくった。サントリーニ島のページを開いて、折り目の横の「二人で」の文字を指でなぞった。

それから敏子は写真集を閉じて、今度は隣のパンフレットを開いた。サントリーニ島のページに、小さな付箋を貼った。ロンドンのページにも。ストックホルムのページにも。

昭夫は隣で本を読むふりをしながら、その姿を見ていた。34年間、写真集をめくるだけだった敏子が、今夜はパンフレットに付箋を貼っている。

来年の春、桜が終わる頃。二人は横浜港に立っている。34年前と同じ港。あの日は伊豆大島行きの小さなフェリーだった。今度は、地球を一周する船。

デッキに立った敏子が、海を見て「きれいだね」と言う。昭夫は「そうだな」と答える。34年前と、同じ言葉。でも今度の海は、サントリーニ島まで続いている。