裕子(ゆうこ)、56歳。神奈川県横浜市在住。保険会社の事務職で34年勤務。夫の正樹(58歳)と二人暮らし。息子は結婚して大阪に、娘は東京で一人暮らし。3年前に母を亡くした。
3年前、母が亡くなった後の実家の整理は、想像以上に大変だった。
姉と二人で実家に通って、母の持ち物を一つずつ確認した。どれが要るもので、どれが要らないものか。母に聞くことはもうできない。タンスの引き出しを開けるたびに、知らないものが出てきた。使いかけの化粧品、読みかけの本、知らない人からの手紙。母がどんな気持ちでこれを残していたのか、想像するしかなかった。
週末のたびに段ボールを詰めて、3ヶ月かかった。姉は「お母さん、もう少し整理しておいてくれたらね」と笑ったけれど、目は笑っていなかった。
あのとき裕子は思った。自分の子供たちには、こんな思いをさせたくない。
でも、それから3年が過ぎて、裕子のクローゼットは何も変わっていなかった。
開けられないクローゼット
子供たちが巣立ってから、家の中が静かになった。4LDKに夫婦二人。息子の部屋には参考書がまだ本棚に並んでいる。娘の部屋にはカーテンだけが残っている。
元気なうちに、自分で整理しておかなきゃ。頭ではわかっている。でも、クローゼットの扉を開けると、また閉じてしまう。
クローゼットの奥には、若い頃に買ったブランド品がいくつも眠っている。30歳のとき、初めてのボーナスで買ったコーチのトートバッグ。通勤に使っていたけれど、部署が変わって荷物が増えてからは出番がなくなった。35歳で自分へのご褒美に買ったグッチの長財布。今はもっと軽い財布を使っている。娘の七五三の日に持って行ったプラダのハンドバッグ。あの日の写真には、娘の着物の隣にこのバッグが写っている。
母の形見のヴィトンのショルダーバッグもある。母のブレスレットも、ネックレスも。実家の整理のとき「裕子が持ってなさいよ」と姉に言われて引き取ったものたち。
どれも何年も使っていない。でも高かったから捨てるのはもったいない。思い出があるから手放せない。そう言い続けて、クローゼットはいっぱいのままだった。このまま自分に何かあったら、息子と娘がこのクローゼットの前で途方に暮れる。3年前の自分と姉のように。
「断捨離 クローゼット」と検索した指
リビングのソファに座って、スマホを手に取った。子供たちにあの苦労をさせたくない。でもクローゼットの前に立つと足が止まる。どうすればいいのかわからなくて、「断捨離 クローゼット」と打ち込んだ。
断捨離のコツ、手順、考え方。いろんな記事が出てきた。「1年使わなかったものは手放す」とある。「思い出の品は写真に撮って処分する」とも書いてある。頭ではわかる。でも、高かったブランド品を写真に撮ってゴミ袋に入れるのは、さすがにできない。
スクロールしていくうちに、「ブランド品の宅配買取」という言葉が目に入った。自宅から箱に詰めて送るだけ。送料も手数料も無料。査定してもらって、金額に納得できなければ返してもらえる。
捨てるのとは違う。次の誰かに届ける。使わないまま眠らせておくより、また誰かの手で使ってもらえた方がいい。そう思った瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
裕子が見つけたのは、ここだった
※送料・手数料無料。宅配キットが届きます
クローゼットの前で
週末の朝、裕子はクローゼットの扉を開けた。今度は閉じなかった。
コーチのトートバッグを取り出した。持ち手の革が少し硬くなっていたけれど、まだしっかりしている。あの頃、毎朝このバッグを肩にかけて駅まで歩いた。若かった自分が好きだったバッグ。でも今の自分には、もう似合わない。それがわかるから、手放せる。
グッチの長財布も取り出した。35歳のとき、仕事が軌道に乗ってきて、自分へのご褒美に買ったもの。レジで出すたびに少し誇らしかった。でも今は、軽くて小さな財布の方が使いやすい。あの頃の自分には必要だったけれど、今の自分にはもう役目を終えたもの。
プラダのハンドバッグも取り出した。娘の七五三のとき、少しだけおしゃれをしたくて持って行った。あの日、娘の着物の帯を締めながら、このバッグを椅子の背にかけた。思い出はある。でも、思い出はバッグの中じゃなくて、自分の中にある。
母のヴィトンのショルダーバッグ。母のブレスレット。母のネックレス。一つずつ取り出して、丁寧に布で拭いた。母が大切にしていたものたち。実家のクローゼットから自分のクローゼットに移動しただけで、3年間また眠らせていた。母が物を溜め込んでいたから、遺品整理に3ヶ月もかかったのだ。母と同じことを繰り返すわけにはいかない。
宅配キットの箱を開けた。自分のバッグ、母のバッグ、ブレスレット、ネックレス。一つずつ丁寧に詰めていった。
最後に、小さなジュエリーボックスの中に、母の指輪があった。細い金の指輪。飾りもない、シンプルなもの。母がいつも左手の薬指にはめていた。料理をするときも、洗濯物を干すときも、裕子の頭を撫でてくれたときも、いつもあの指にあった。
裕子はその指輪を手に取った。箱には入れなかった。
バッグもネックレスもブレスレットも手放せる。でも、この指輪だけは残す。母の指の温かさが、まだここにある気がしたから。
捨てるんじゃない、届けるんだ
※キャンセル無料。査定だけでもOKです
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数日後、買取金額の通知が届いた。思っていたよりずっと高かった。使わないまま眠らせていたものたちが、こんなに価値があったなんて。捨てていたら、ゼロだった。届けたから、価値になった。あの頃の自分が大切にしていたものたちが、次の誰かのもとで、また大切にされる。それだけで十分だった。
クローゼットには隙間ができていた。開けるのが怖かった扉を、今は軽く引ける。息子と娘がこのクローゼットの前で途方に暮れることは、もうない。
買取金額で、姉を食事に誘った。「お母さんのブランド品、買取に出したんだ」と言ったら、姉は少し驚いて、それから「よかったね」と笑った。
「あのとき大変だったもんね、私たち」と姉が言った。二人で母の話をした。実家の整理で3ヶ月かかった話。段ボールの山。知らない人からの手紙。あの頃は辛かったのに、今は笑いながら話せるようになっていた。
家に帰って、ジュエリーボックスを開けた。母の指輪が一つだけ、静かに光っていた。
裕子はそれを左手の薬指にはめてみた。少しだけ緩かった。母の指は、自分より少し細かったのだと、はじめて知った。

