56歳、息子が出ていった日に明細を見た。10年間、同じ光回線に月6,500円払い続けていた。

登場人物

健一(けんいち)、56歳。神奈川県横浜市在住の会社員。長男の翔太が就職で大阪に出て、夫婦二人暮らしになった。ある日、妻の陽子に「通信費、高すぎない?」と言われて明細を見たら、10年以上前に契約した光回線に月6,500円以上払っていた。乗り換えたい気持ちはある。でも「違約金」「工事」「手続き」が面倒で、ずっと見て見ぬふりをしてきた。

息子の部屋には、まだカーテンレールにハンガーが2本残っていた。

3月の終わり、健一は段ボール3箱を車に積む翔太を玄関先で見送った。就職先は大阪。横浜の実家から翔太の気配が消えるのは、26年間で初めてのことだった。妻の陽子が夕飯の支度をしている音が、やけに広くなったリビングに響いていた。テレビをつけても、どのチャンネルも他人事みたいに明るくて、すぐに消した。

その夜、陽子がダイニングテーブルに封筒を何通か並べていた。保険の見直し、新聞の解約、スマホのプラン変更。翔太が出ていったことで、家計を整理しようとしているらしい。

「ねえ、これ見て」

陽子が差し出したのは、光回線の明細だった。月額6,578円。プロバイダ料込み。10年以上、同じ金額が毎月引き落とされている。

「これ、高すぎない? 翔太もういないのに」

健一は明細を受け取って、じっと見た。契約した頃のことを思い出した。翔太がまだ小学生で、オンラインゲームをやりたいと言い出して、速い回線を引いたのだった。あれから10年以上、一度も見直していない。

10年間、見て見ぬふりをしてきた明細

光回線のことは、何度か気になったことがある。会社の後輩が「乗り換えたら月2,000円安くなりましたよ」と話していたとき。新聞の折り込みチラシに「月額3,000円台」の文字を見たとき。「うちも変えたほうがいいのかな」と思った。

でも、そのたびに頭をよぎるのは「面倒くさそう」の五文字だった。違約金がかかるのか。工事が必要なのか。メールアドレスは変わるのか。ルーターの設定は自分でやるのか。考えるだけで、腰が重くなった。

結局、毎月6,578円を払い続けた。年間にすると約79,000円。10年で約79万円。冷静に計算すると、けっこうな金額が静かに消えていた。

陽子は明細をテーブルに戻しながら、ため息をついた。

「こういうのって、ちゃんと見直さないと、ずっとこのままなのよね」

その通りだった。見て見ぬふりをしていたのは、健一自身だった。

50代で光回線を見直すのは、遅いのか

その夜、ベッドの中でスマホを開いた。「光回線 乗り換え」と検索してみた。出てくるのは比較サイトばかりで、どこも「おすすめランキング」が並んでいた。1位、2位、3位。読めば読むほど、どこがいいのかわからなくなる。

そもそも、50代で光回線を乗り換える人なんているのだろうか。若い人の話じゃないのか。そう思って検索し直した。

すると、思っていた以上に同じような人がいた。子どもが独立して、夫婦二人になって、固定費を見直す50代。住宅ローンや保険は見直すのに、光回線は盲点になっていた人たち。月に数千円の差が、年間にすると何万円にもなると気づいた人たち。

自分だけじゃなかった。

「縛りなし」の三文字に、目が止まった

いくつかのサイトを見ているうちに、一つの光回線が目に留まった。

契約期間の縛りがない。いつ解約しても違約金がかからない。

その三文字に、健一は少しだけ驚いた。光回線というのは、2年縛り、3年縛りが当たり前だと思っていた。途中で解約すれば1万円近い違約金を取られる。だから怖くて乗り換えられない。ずっとそう思い込んでいた。

でも、この回線は違った。しかも今使っている回線と同じフレッツの回線だから、工事すら要らないらしい。「事業者変更」という手続きで、ほぼ手間なしで切り替わると書いてあった。

健一が一番恐れていた「面倒くさそう」が、思っていたよりずっと小さかった。

健一が見つけたのは、この回線だった

乗り換えの手続きは、拍子抜けするほど簡単だった

翌日の昼休み、健一は会社の休憩室でスマホから申し込んだ。

事前に今の回線会社に電話して、「事業者変更承諾番号」というものを取得しておいた。電話は5分で終わった。申し込みフォームに入力して、送信。それだけだった。

「……これだけ?」

工事の立ち会いもない。ルーターの交換もない。切り替え日になったら、自動的に回線が切り替わる。

10年間、腰が重かった理由が、あまりにもあっけなく消えていった。

最初の明細が届いた朝

切り替えから1ヶ月後、最初の明細が届いた。

以前より毎月約1,870円安くなっていた。年間にすると約22,000円。これが10年続いたらと思うと、もっと早くやればよかったと素直に思った。

回線速度は、体感では変わらない。動画もスムーズに見れるし、陽子のタブレットも問題なくつながっている。変わったのは、毎月の請求額だけだった。

陽子にその明細を見せた。

「あら、ちゃんとやったじゃない」

ほめられたわけではない。でも、少しだけ誇らしかった。10年間、見て見ぬふりをしていたものに、ようやく手をつけた。それだけのことなのに、達成感があった。

もしあなたが、光回線を何年も見直していないなら

子どもが独立して、夫婦二人暮らしになった。保険やスマホのプランは見直したのに、光回線はそのまま。毎月の引き落としが気になってはいるけれど、面倒くさそうで手をつけていない。

もしそんなあなたがいるなら、一つだけ伝えたいことがある。

健一がいちばん驚いたのは、手続きの簡単さだった。電話1本と、フォームの入力。それだけで終わった。10年間ずっと「面倒くさそう」で先送りしてきたのに、実際にやってみたら拍子抜けするほどあっけなかった。

月々の差額は、小さく見える。でもそれが年間で2万円、10年で20万円になる。静かに積み上がっていくその差額は、いつか旅行の一つにも、孫への贈り物にもなる。

50代の固定費見直しは、大きな決断ではない。ただ、先送りをやめるだけだ。

先送りをやめた朝は、少しだけ軽くなる

翔太の部屋のカーテンレールには、まだハンガーが2本残っている。いつか翔太が帰ってきたときのために、そのままにしてある。

光回線の明細は、変わった。毎月の引き落とし額は、前より小さくなった。でも、その小さな変化が、56歳の健一には少しだけ大きく感じられた。

先送りをやめた朝は、コーヒーが少しだけうまかった。