56歳、娘が「海がいい」と言っていた。船に乗れない父は、委託散骨という方法を見つけた。

登場人物

健治(けんじ)、56歳。千葉県浦安市美浜在住の会社員。妻の陽子と二人暮らし。2年前に娘の百香(ももか、享年24)を病気で亡くした。遺骨はリビングに置いたまま。百香は海が好きだった。

京葉線の車窓から、東京湾が見えた。

夕方の海が、橙色に染まっていた。舞浜を過ぎたあたりで、いつもこの景色になる。新浦安に着く少し前、高架の上からちょうど海が開ける場所がある。健治は毎朝、毎夕、この景色の中を通って通勤している。浦安に住んで30年。この海を何千回と見てきた。

でもこの2年間、この海を見るたびに、百香のことを思う。

百香は、この海が好きだった。浦安で生まれて、浦安で育った。舞浜の駅前を歩くと潮の匂いがする。その匂いを嗅ぐと「海だ」と嬉しそうに言う子だった。新浦安の海沿いの遊歩道を、小さな手をつないで歩いた。高洲海浜公園の堤防に座って、百香と二人で東京湾を眺めた。対岸の川崎の工場群が、夕陽を受けてシルエットになっていた。百香は4歳で、健治の膝の上に座って、「パパ、海ってどこまであるの」と聞いた。

舞浜駅で、百香が指差した夕陽

百香が5歳のとき、初めてディズニーランドに連れて行った。陽子と3人で。朝から夕方まで歩き回って、百香はプーさんのぬいぐるみを抱えて眠りかけていた。舞浜駅に戻る途中、モノレールの窓から夕陽が見えた。百香が目を覚まして、窓の外を指差した。

「パパ、海が光ってるよ」

東京湾に沈みかけた太陽が、海面を金色に染めていた。ディズニーランドの帰りに見た、あの海。百香の声。あの日の光。健治は今でも、舞浜を通るたびにあの声を聞く。

百香はその後も、海が好きなまま大きくなった。高校のときは友達と海の公園まで自転車で行って、砂浜で読書をしていた。大学では湘南まで足を延ばして、江ノ島の裏側の磯で波の音を聴いていると言っていた。就職して1年目の夏、「今度の休みに鎌倉行こうよ、パパ」と誘ってくれた。その約束は、果たせなかった。

リビングに、2年間

百香が亡くなったのは、就職して2年目の秋だった。24歳。病気がわかってから4ヶ月。あっという間だった。健治は毎日病室に通った。浦安の自宅から電車に乗って、病院の最寄り駅まで30分。帰りの京葉線で、東京湾の夜景がぼやけて見えた。涙で滲んでいるのだと気づくのに、しばらくかかった。

百香の遺骨は、リビングの窓辺に置いた。白い骨壷の隣に、あのプーさんのぬいぐるみを置いた。朝、出勤するときに「行ってくるな」と声をかける。帰ってきたら「ただいま」と言う。それが健治の日課になった。陽子も同じようにしていた。2年が過ぎても、骨壷はリビングにあった。

墓を建てることも考えた。健治の実家は埼玉の越谷にあるが、百香をあの暗い墓地に入れる気にはなれなかった。百香は生前、冗談めかしてこう言っていた。「私、お墓はなんか暗くて嫌だな。死んだら海がいい。海に還りたい」。21歳のときだった。まさか3年後に本当にその選択を迫られるとは、誰も思っていなかった。

「散骨 船に乗らない」で検索した夜

海に還してやりたい。百香がそう望んでいたことは、健治も陽子もわかっていた。でも、海洋散骨は船に乗る。健治は昔から船が苦手だった。フェリーにも乗れない。百香を海に連れて行きたいのに、自分が船に乗れない。その矛盾が、2年間ずっと健治の中にあった。

ある夜、リビングで骨壷を見ながらスマホを開いた。「散骨 船に乗らない」。そう検索した。

すると、委託散骨という方法があった。遺族の代わりに、専門のスタッフが船に乗って散骨をしてくれる。遺骨をゆうパックで送れば、粉骨から散骨まですべて代行してくれる。散骨後はGPSの位置情報と写真、証明書が届く。横浜ベイブリッジ沖の東京湾で行う、と書いてあった。

東京湾。百香が「光ってる」と言った、あの海だ。

健治が見つけたのは、ここだった

陽子と二人で、決めた

その夜、健治は陽子にスマホの画面を見せた。「委託散骨っていうのがあるんだ。船に乗らなくていい。東京湾に散骨してくれるらしい」

陽子はしばらく画面を見つめていた。横浜ベイブリッジ沖、と書いてある。散骨後は、みなとみらいや横浜港から海を眺めながら供養できる、と。

「百香、喜ぶかな」と陽子が言った。

「海がいいって言ってたからな」

「お墓より、百香らしいよね」

陽子の目が潤んでいた。健治もそうだった。でも、2年間動けなかった何かが、少しだけ動いた気がした。百香を暗い墓石の下に入れるのではなく、あの子が好きだった海に還してやれる。しかも東京湾。舞浜の駅から見えた、あの光る海に。

海を見るたびに、会える

それから数日後、健治は電話で問い合わせをした。スタッフの声は穏やかだった。粉骨から散骨まで全部任せられること、散骨の日は写真を撮ってくれること、散骨した場所のGPS座標を教えてもらえること。ひとつひとつ、丁寧に説明してくれた。

「散骨の後は、横浜の海を見るたびにご供養いただけます」。その言葉が、健治の胸に残った。

浦安から横浜は近い。京葉線で東京に出て、東海道線に乗り換えれば1時間もかからない。みなとみらいの赤レンガ倉庫の前から、ベイブリッジの方を見る。百香がいる海を、見ることができる。お墓参りのように決まった場所に行くのではなく、海を見るだけでいい。百香はそこにいる。

あの子が好きだった海に、還してやりたいなら

翌朝、健治はいつもと同じ時間に家を出た。新浦安駅のホームに立つと、京葉線が滑り込んできた。席に座って、窓の外を見る。舞浜を過ぎたあたりで、東京湾が開けた。朝の海は、静かだった。

もうすぐ、百香をあの海に還してやれる。

健治はスマホの写真フォルダを開いた。5歳の百香が、プーさんのぬいぐるみを抱えて笑っている写真。舞浜駅の改札の前で撮った、あの日の一枚。百香の後ろに、夕陽の東京湾が映っていた。

京葉線の窓から見える海が、あの日と同じように光っていた。