52歳、テレビで地震速報を見た夜。孫がこの家にいたら、何もしてあげられないと気づいた。

登場人物

節子(せつこ)、52歳。埼玉県さいたま市在住。スーパーのパート勤務。夫(54歳)と二人暮らし、子供二人は独立。長男(28歳)は都内で嫁と暮らしており、2歳の孫・陽菜(ひな)がいる。

テレビの画面が、赤く染まっていた。

4月20日の夕方、パートから帰って台所で夕飯の支度をしていた節子は、居間からテレビの音が変わったのに気づいた。チャイムのような緊急音。手を止めて居間に行くと、画面に「津波警報」の文字が出ていた。岩手県沖で大きな地震があった、と報じていた。

さいたま市は揺れなかった。テレビの中の出来事だった。でも節子は、そのまま立って画面を見ていた。沿岸に避難を呼びかけるアナウンサーの声。漁港に押し寄せる黒い水の映像。逃げる人たちの背中。

夫が帰ってきて、「こっちは大丈夫だったな」と言った。節子は「うん」と答えた。夕飯を作って、食べて、片づけて、布団に入った。でも眠れなかった。

陽菜に電話したくなった

布団の中で、節子は息子に電話したい衝動と戦っていた。もう夜の11時だった。息子夫婦は都内に住んでいる。さいたま市と同じで、揺れはほとんどなかったはずだ。電話する理由がなかった。

でも、孫の陽菜の顔が浮かんだ。2歳になったばかりの、まだ言葉がたどたどしい陽菜。「ばあば」と呼んでくれるようになったのは、つい最近のことだった。

翌朝、節子は息子に電話した。「陽菜ちゃん、昨日怖がらなかった?」。息子は笑って言った。「全然。こっちは揺れてないし、陽菜は寝てたよ。お母さんの方こそ大丈夫?」。何でもない会話だった。何でもなくて、よかった。

でも電話を切った後、節子は台所のテーブルに座ったまま、しばらく動けなかった。

陽菜がこの家にいる週末のこと

月に一度か二度、息子夫婦が陽菜を連れてさいたまに遊びに来る。土曜の昼に来て、日曜の夕方に帰る。陽菜はこの家が好きらしい。来ると節子の膝の上から動かない。絵本を読んでとせがむ。同じページを何度も何度もめくらせる。節子は何度でもめくった。

陽菜が寝るときに、いつも抱いているくまのぬいぐるみがある。グレーの小さなくま。これがないと泣く。嫁が「どこに行くにも一緒です」と笑っていた。節子の家に泊まるときも、陽菜はくまを胸に抱いて、節子の布団の中に潜り込んでくる。小さな手が節子のパジャマを握っている。その手のぬくもりが、節子にはたまらなく愛おしかった。

2歳の子供が、知らない場所で不安なとき、手の中にあるものがこの小さなくまだけ。これを抱きしめて、それだけで少し安心して、目を閉じる。

もし大きな地震が来たとき、陽菜がこの家にいたら。

節子は何ができるだろう。

水がどこにあるかも、知らなかった

その日の夜、節子は家の中を見回した。懐中電灯がどこにあるか、わからなかった。電池があるかも、わからなかった。水のペットボトルは冷蔵庫に2本。食料は冷蔵庫の中だけ。停電したら何も見えない。ガスが止まったらお湯も沸かせない。

テレビの中の地震は、東北の出来事だった。でも節子は知っていた。首都直下地震がいつ来てもおかしくないと、ニュースで何度も聞いてきた。南海トラフも。聞くたびに「怖いね」と夫に言って、それで終わりにしてきた。

52年間、何も備えていなかった。

陽菜がこの家にいるとき、地震が来たら。水も食料も灯りもない家で、2歳の孫を抱きしめて、何もしてあげられないまま、暗い中で朝を待つ。陽菜が泣いても、くまのぬいぐるみ以外に、渡せるものが何もない。

節子は台所のテーブルに座って、両手を膝の上に置いた。この家を、陽菜を守れる家にしなければ、と思った。

夫に「備えよう」と言った朝

翌朝、朝食の席で、節子は夫に言った。「防災のもの、ちゃんと揃えようと思うの」

夫は新聞から目を上げて、少し驚いた顔をした。「急にどうした」

「陽菜がいるとき、何かあったら、何もしてあげられない」

夫は少し黙って、それから「そうだな」と言った。それだけだった。でも節子には、それで十分だった。

節子はスマホで調べ始めた。何を揃えればいいのか、自分ではわからなかった。水と懐中電灯くらいしか思い浮かばなかった。調べていくうちに、防災士が中身を選んだセットがあることを知った。水、食料、ライト、簡易トイレ、エアーマット。一人では思いつかないものが、最初から揃っている。

節子が見つけたのは、ここだった

※防災士監修・39点セット

リュックの一番上に入れたもの

届いたリュックを、節子は居間のテーブルの上で開けた。中身を一つずつ取り出して、確認した。水、アルファ米、懐中電灯、携帯トイレ、エアーマット。一つずつ手に取って、使い方を読んだ。

全部確認し終えた後、節子はスーパーで買ってきたものを取り出した。陽菜の好きなたまごボーロ。小さなジップロックに入れた。それから、小さな紙に陽菜の名前と生年月日と血液型を書いた。嫁に電話して聞いた。「陽菜ちゃんの血液型、何だったっけ」。嫁は不思議そうに答えてくれた。

節子はそのジップロックと紙を、リュックの一番上に入れた。

誰にも言わなかった。

リュックを玄関の靴箱の横に置いた。陽菜が来たときに、すぐ手に取れる場所。夫はそれを見て「ちゃんとしたの買ったな」と言った。節子は「うん」とだけ答えた。リュックの一番上に何が入っているかは、言わなかった。

もしあなたも、大切な誰かがいるなら

地震はいつ来るかわからない。テレビの中の出来事が、明日は自分の家の出来事になるかもしれない。備えなければと思いながら、何から始めればいいかわからないまま、時間だけが過ぎていく。

大切な誰かを守るために、まず何が必要かを知ることが最初の一歩になる。防災士が選んだセットなら、自分では思いつかないものまで最初から揃っている。

大切な人を守る準備を、始める

防災士が中身を厳選

次の土曜日、息子夫婦が陽菜を連れて遊びに来た。玄関で靴を脱ぐ陽菜が、「ばあば」と言って手を伸ばした。節子は陽菜を抱き上げた。グレーのくまが、陽菜の小さな手にぶら下がっていた。

その日の夜、陽菜は節子の布団に潜り込んできた。いつものように、くまを胸に抱いて、節子のパジャマの裾を小さな指で握って、目を閉じた。節子は陽菜の寝顔を見ていた。小さな息が、規則正しく上下していた。

玄関の横に、リュックが立っている。一番上に、たまごボーロのジップロックが入っている。陽菜はそれを知らない。知らなくていい。

節子は陽菜の髪をそっと撫でた。この家で、この子を守れる。くまと、ばあばと、たまごボーロがあれば、この子は大丈夫。

外では風が少し吹いていた。窓の向こうに、さいたまの街灯りが静かに広がっていた。