翔太(しょうた)、52歳。鹿児島市在住。父から引き継いだ土建屋を一人で営んでいる。7歳のとき母親が家を出て行方不明となり、父と二人で生きてきた。25歳のとき父が倒れ、土建屋と重機を引き継いだ。父はすでに他界。独身、兄弟なし。
ユンボの運転席に座って、翔太は査定業者が来るのを待っていた。
エンジンはかけていない。キャビンの中は静かで、鹿児島の五月の朝の光がフロントガラスを白く染めていた。ここに座るのは、これが最後だった。27年間、この席に乗り込んで、土を掘り、石を退かし、地面を均してきた。体が覚えている。目を閉じても、レバーの位置が手のひらに浮かぶ。
引き渡す前に、中を整理しておこうと思った。翔太は、小物入れに手をかけた。
7歳から、父のユンボの助手席に乗ってきた
母親が出て行ったのは、翔太が7歳の夏だった。朝起きたら、母の靴がなかった。父は一言も説明しなかった。翔太も聞かなかった。それからずっと、父と二人だった。
父は土建屋だった。無口で、日焼けで黒くなった、大きな手を持つ男だった。翔太はよく現場についていった。ユンボの助手席に乗せてもらって、父が土を掘るのをただ見ていた。あの機械が父の手で動く。鉄の塊が、まるで父の指の延長のように地面に食い込んでいく。子供の目には、それが魔法のように見えた。
帰り道、父は何も話さなかった。でも助手席が暖かかった。それだけで十分だった。
父のユンボの匂いを、翔太は今でも覚えている。油と土と、かすかに父の汗の匂いが混ざった、あの独特の匂い。この運転席に乗るたびに、あの助手席の記憶が戻ってくる。
25歳で、初めて一人でエンジンをかけた
翔太が25歳のとき、父が脳梗塞で倒れた。命は取り留めたが、重機を動かせる体ではなくなった。病院のベッドで、父は翔太の顔を見て、ただ「すまん」と言った。
翔太は首を横に振った。「俺がやる」と言った。
翌朝、一人でユンボの運転席に乗り込んだ。エンジンキーを回した。エンジンが唸りを上げた。その振動が、シートを通して体に伝わってきた。
シートが、父の体型に少し沈んでいた。
父が何年もかけて作ったその沈み込みに、翔太の体は合わなかった。でも翔太はそのまま座った。その沈み込みの中に父がいる気がして、動かせなかった。
レバーを握った。父と同じように、地面に向けてバケットを下ろした。土が崩れた。それだけのことで、翔太の目が熱くなった。泣かなかった。泣いている場合ではなかった。でも、熱かった。
27年間、このユンボで稼いできた
父は回復できないまま、翔太が37歳のときに逝った。
それでも翔太はユンボに乗り続けた。父の取引先を一軒一軒回って、頭を下げて、仕事をもらい続けた。「息子さんがやるのか」と言われた。「はい」と答えた。それだけで、次の現場が決まることもあった。父が積み上げてきたものが、翔太を支えていた。
現場が終わるたびに、キャビンを降りて空を見た。父もここから同じ空を見ていたのだと思った。冬は風が冷たかった。夏は汗が目に入った。それでも毎朝エンジンをかけるたびに、あのシートの振動が体を通り抜けるたびに、父がそこにいる気がした。
シートの沈み込みは、少しずつ翔太の体型に変わっていった。ある朝気づいて、翔太は少しだけ手を止めた。父の形が消えていく。でも仕方がなかった。翔太がここに乗り続ける限り、そうなっていく。それが27年間というものだった。
52歳になった今年、翔太は土建屋をやめることを決めた。父が若い頃に好きだったダイビングを、20歳のとき二人で沖縄に行って一緒に覚えた。あの海のそばで、この先の時間を使いたかった。インストラクターの資格を取って、父との思い出がある場所で生きていく。そのためには、重機を手放さなければならなかった。
ユンボを売る。その決断をするのに、半年かかった。父の形が染み込んだシート、父が握り続けたレバー、父の匂いが残ったキャビン。27年間、翔太の生活そのものだったものを、他人の手に渡す。
それでも、翔太は手放すと決めた。父なら、そう言うと思った。「次に行け」と、あの無口な父が、一言だけ言いそうな気がした。
翔太はスマホで、重機の買取業者を調べた。
翔太が連絡したのは、ここだった
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小物入れの奥に、父のログブックがあった
査定の日は、来週の水曜日に決まった。
その日まで、翔太はユンボのそばに毎朝立った。エンジンはかけなかった。ただキャビンの扉を開けて、運転席に座って、しばらくそこにいた。父がこの席に座っていた時間の長さを、手で触れて確かめるように。
水曜日の朝、7時に現場に着いた。業者が来る前に、キャビンの中を整理しておこうと思った。翔太は小物入れを開けた。工具の替えと、古い領収書と、ガムテープの切れ端。奥の方に、ビニール袋に包まれた古い冊子があった。手に取って、包みを開いた。
父のダイビングログブックだった。
日付と潜った場所と透明度と、短いメモが書き込まれている。翔太がまだ子供だった頃から、父が記録していたものだった。なぜこれがユンボの中に。翔太には見当がつかなかった。父が現場に来るたびに、ここに入れていたのかもしれない。海に行けない日々の中で、このログブックだけを手の届く場所に置いていたのかもしれない。
翔太は最後のページを開いた。
父の字が、一行あった。
「翔太と沖縄。透明度28m。最高やった。またいつか二人で。」
その次のページから先は、全部白紙だった。
父はその後、一度も潜れなかった。「またいつか二人で」と書いて、ユンボの小物入れにしまって、毎日現場に来ていた。土を掘りながら、重機の振動を受けながら、その「またいつか」をずっと持ち続けていた。
翔太はログブックを両手で持ったまま、しばらく動けなかった。52歳の男の涙が、ユンボの運転席でぽたりぽたりと膝に落ちた。声は出なかった。ただ、止まらなかった。
親父、俺が続きを書いてくる。
もしあなたも、重機を手放すタイミングが来たなら
長年使ってきた重機を手放すことは、仕事だけの話ではないことがある。その機械に刻まれた時間と、その時間の中にいた誰かのことが、一緒についてくる。
それでも前に進むために、まずその価値を知ることから始められる。手数料不要で、型式と稼働時間だけで概算が出る。
重機を手放して、次の場所へ
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査定業者のトラックが、現場の入り口に入ってきた。翔太はログブックをそっとジャケットの内ポケットにしまって、キャビンを降りた。
最後にユンボを振り返った。油と土の匂いが、朝の風に混ざった。父の匂いがした。
ユンボが積み込まれていく間、翔太はその場に立って見ていた。クレーンがキャビンをゆっくりと持ち上げた。鉄の塊が宙に浮いた。子供の頃、あんなに大きく見えた機械が、今日は不思議と小さく見えた。
トラックが走り去った後、翔太は空になった地面を見た。長年ユンボが停めてあった場所だけ、土が平らに固まっていた。そこだけ時間が止まっているような気がした。
翔太はしばらくその場に立っていた。風が吹いて、草が揺れた。現場の静けさが、耳に馴染んでいった。
内ポケットのログブックをそっと押さえた。

