52歳、介護職28年。利用者の「ありがとう」が支えだった。でも、もう限界だった。円満退職を選んだ夜。

登場人物

敬子(けいこ)、52歳。福井県福井市在住。夫と二人暮らし。24歳から同じ介護施設で28年間働いてきた。利用者の「ありがとう」が支えだった。でも3年前から職場の空気が変わり、心が限界に近づいている。辞めたい。でも、揉めたくない。

介護の仕事を続けて、28年になる。

24歳でこの施設に入った。最初はヘルパーだった。おむつの替え方も、車椅子の押し方も、先輩に怒られながら覚えた。夜勤で初めて一人になった夜、ナースコールが鳴って、走って部屋に行ったら、利用者の田中のおばあちゃんが「トイレに行きたいの」とだけ言った。手を引いて、トイレまで連れて行って、終わるまで廊下で待った。戻ってきた田中さんが「ありがとうね」と言った。その声が、28年経った今も耳に残っている。

介護職を28年。円満退職なんて考えたことがなかった

28年間、同じ施設で働いてきた。ヘルパーから介護福祉士になり、フロアリーダーを任された。夜勤は月に4回。利用者の名前と顔は全員覚えている。好きな食べ物も、家族構成も、朝の機嫌がいい人と悪い人も。誰がどの車椅子を使っていて、誰が夜中にトイレに起きるか。全部、体に入っている。

利用者のおばあちゃんたちに「敬子さんがいると安心する」と言われるのが、何よりうれしかった。中村さんというおばあちゃんは、毎朝敬子が出勤すると「あら、今日も来てくれたの」と笑った。入浴介助のとき、中村さんの背中を洗いながら、「今日のお湯加減どう?」と聞くと、「ちょうどええよ」と目を細めた。その顔を見ると、この仕事をやっていてよかったと思えた。

退職なんて考えたことがなかった。ましてや円満退職の方法を調べる日が来るなんて、想像もしていなかった。

3年前から、休憩室に入るのが怖くなった

3年前、施設のスタッフの入れ替わりがあった頃から、空気が変わった。人手不足で余裕がなくなり、ピリピリした雰囲気が漂うようになった。敬子はフロアリーダーとして、上と現場の間に立たされることが増えた。施設長からは「もっと効率よく回して」と言われ、現場のスタッフからは「人が足りない」と言われる。どちらにも応えたい。でもどちらにも応えられない。

休憩室に入ると、会話が止まることがあった。何の話をしていたのかわからない。自分の話だったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。でも、あの一瞬の沈黙が、敬子の胸にずっと刺さっていた。28年間、誰とも揉めずにやってきた。揉めないことが自分の取り柄だと思っていた。でも、揉めないために自分が削れていくのを、ずっと我慢していた。

夜勤明けの朝、駐車場の車の中で動けなくなることが増えた。エンジンをかけて、ハンドルを握ったまま、フロントガラスの向こうに朝日が昇っていくのをぼんやり見ていた。15分。20分。体がどこにも行きたがらなかった。

夫に「もう限界かもしれん」と言った夜

ある夜、夕食のあと、夫にこぼした。「もう限界かもしれん」。夫は新聞を畳んで、テーブルの上に置いた。敬子のほうを向いて、少しの間黙ってから、言った。

「辞めたらいいよ。28年もやったんやから」

その一言で、涙が出そうになった。でも泣かなかった。泣いたら本当に辞めることになりそうで、まだ覚悟ができていなかった。中村さんの「あら、今日も来てくれたの」が頭の中で鳴っている。あの人たちを置いていくのか。でも、このまま続けたら体が壊れる。頭ではわかっている。でも、心が追いつかない。

そしてもう一つ、どうしても越えられない壁があった。施設長に「辞めます」と言う、その一言が出ない。28年間育ててもらった場所だ。人手不足の現場で、自分が抜けたらどうなるか想像がつく。引き止められるのが怖い。辞めると言ったあと、残りの日々をどんな顔で過ごせばいいかわからない。

「円満退職」と検索した夜

布団の中でスマホを開いた。「円満退職」と打った。揉めずに辞められる方法を探していた。退職届の書き方、上司への切り出し方、引き継ぎのマナー。そんな記事がいくつも出てきた。でも、どれを読んでも、最後は「自分の口で伝えましょう」と書いてある。

その「自分の口で」ができないから、検索しているのに。

画面をスクロールしていくうちに、弁護士が退職の手続きを代わりにやってくれるものがあることを知った。自分が施設長と直接話さなくていい。弁護士が会社に連絡して、退職届の提出も、有給消化の交渉も、離職票の取り寄せも、全部やってくれる。LINEで無料相談ができる。

弁護士が間に入るから、法律に基づいて手続きが進む。揉めない。後腐れがない。28年間揉めずにやってきた敬子が、最後まで揉めずに辞められる。

敬子が見つけたのは、ここだった

※LINE・メールで無料相談。退職成功率100%

LINEの画面に「大丈夫ですよ」と返ってきた

翌日の昼休み、車の中でLINEの無料相談に登録した。指が震えていた。「28年間勤めた介護施設を辞めたいのですが、自分から言い出せません」。送信した。しばらくして、返事が来た。

丁寧な文面だった。状況を聞いてくれて、退職までの流れを説明してくれた。有給が何日残っているか確認しておいてください、と言われた。敬子は有給を使ったことがほとんどなかった。数えたら、30日以上残っていた。28年間、休まなかった日々の積み重ねが、そこにあった。

「敬子さん、大丈夫ですよ。すべてこちらで対応します」

画面の中の言葉が、胸に沁みた。「大丈夫」と言ってもらえたのは、いつ以来だろう。28年間、敬子はずっと利用者に「大丈夫ですよ」と言う側だった。自分が言われる番が来るとは思わなかった。

退職の連絡は、敬子の代わりに弁護士がした

依頼した翌日、弁護士から施設に連絡が入った。敬子は出勤しなかった。家のリビングで、窓の外を見ていた。いつもなら夜勤明けの朝日を駐車場で見ている時間だった。今日は、リビングの窓から見ている。同じ朝日なのに、こんなに違う。

施設からの電話はなかった。弁護士がすべて対応してくれた。有給消化の期間に入り、退職届も弁護士が提出してくれた。離職票と源泉徴収票も、後日届くよう手続きが進められた。

敬子は一度も施設長と話さなかった。一度も揉めなかった。28年間揉めずにやってきて、最後まで揉めずに終われた。

もしあなたも、自分の口で「辞めます」と言えないなら

介護の仕事が嫌いになったわけじゃない。利用者のことは今でも大切に思っている。でも、心と体が限界なのに、それを言い出せない。辞めたいのに辞めると言えない。その板挟みの中にいるなら、自分を責めないでほしい。言えないのは弱さじゃない。ずっと誠実に働いてきた人ほど、その一言は重い。

揉めずに辞める方法は、ある

※弁護士対応。有給消化・離職票の取得もサポート

退職が完了した日の翌朝、敬子はいつもの時間に目が覚めた。5時半。28年間、この時間に起きていた。体がまだ覚えている。でも、今日は起き上がらなくてよかった。布団の中で天井を見ていた。隣で夫がまだ眠っている。

しばらくして起き上がって、台所に行った。コーヒーを淹れようとしたら、もう淹れてあった。夫が先に起きて、淹れてくれていた。テーブルの上にマグカップが一つ、湯気を立てて置いてある。

夫がリビングから顔を出した。

「お疲れさま。28年間」

敬子はマグカップを両手で包んだ。温かかった。窓の外に朝日が差していた。28年間通った道を、もう通らなくていい朝。寂しさがないと言えば嘘になる。中村さんの「あら、今日も来てくれたの」が、まだ耳の奥で鳴っている。

でも、コーヒーが温かかった。夫が淹れてくれたコーヒーが。28年間、朝の5時半に家を出ていた敬子のために、この人はずっと何も言わずに送り出してくれていた。今朝、初めてコーヒーを淹れてくれた。それが「お帰り」だった。