53歳の片思い。相手の気持ちが知りたくて、夜中にスマホを開いた。

登場人物

志保(しほ)、53歳。広島県尾道市在住。独身。市内の図書館で司書として働いている。毎週木曜に通ってくる男性が気になり始めた。片思いの相手の気持ちが知りたくて、でも誰にも聞けないまま、半年が過ぎた。

木曜日の午後2時。カウンターに座っていると、入口のドアが開く音がした。

顔を上げなくても、わかる。あの足音。革靴ではなく、柔らかい底のスニーカーが床を踏む音。静かで、でもちゃんと聞こえる。去年の春から、毎週木曜の午後、同じ時間に来る。50代半ばくらいの男性。グレーのジャケットを着ていることが多い。カウンターで本を差し出すとき、「お願いします」と言って、少しだけ頭を下げる。それだけの人だった。最初は。

あの人が手に取る本は、全部、私の本棚にもある本だった

変わったのは、去年の6月だった。カウンターで貸出手続きをしていて、バーコードを読み取ろうとした手が止まった。宮城谷昌光の『重耳』。志保が何年か前に読んで、しばらく余韻が消えなかった一冊だった。中国の春秋時代を舞台にした長編で、流浪の王子が放浪の果てに王位に就く物語。壮大なのに、どこか孤独で、静かな強さがある。こんな本を借りる人がいるんだ、と思った。

翌週の木曜、またあの足音がした。カウンターに差し出された本は『楽毅』だった。その次の週は『孟嘗君』。全部、志保が読んだことのある本だった。しかも、志保が読んだ順番とほぼ同じ順番で借りていく。

バーコードを読み取りながら、胸のどこかがぎゅっと鳴った。この人の本棚には、自分と同じ本が並んでいるのかもしれない。同じ物語を読んで、同じ場面で息を止めて、同じ登場人物に心を寄せたのかもしれない。会ったこともない人の中に、自分と同じ景色が広がっている。そう思っただけで、カウンターの下で握っていた手が、少しだけ汗ばんだ。

木曜の朝、鏡の前に立つ時間が長くなった

それから、木曜日が変わった。朝、鏡の前で髪を整える時間が少しだけ長くなった。いつもは後ろで一つに束ねるだけだったのに、前髪の分け目を気にするようになった。誰に見せるわけでもない。でも、あの人がカウンターに来たとき、自分がどう映っているのか、急に気になり始めた。

カウンターにあの人が立つと、指先が冷たくなる。バーコードを読み取る手が、わずかに震える。本を渡すとき、指が触れそうで触れない距離がある。「ありがとうございます」と言われると、「どうぞ」としか返せない。もっと何か言いたい。でも、何を言えばいいのかわからない。

返却ボックスにあの人の本が戻ってくると、背表紙を見る。読み終わったんだ。この本のあの場面で、あの人は何を感じたんだろう。主人公が長い放浪の末に故郷に帰る場面で、あの人も胸が詰まったのだろうか。そんなことを考えている自分に気づいて、志保は書架の影で小さく笑った。53歳で片思いなんて。

誰にも言えないまま、半年が過ぎた

友人に言おうとしたことがある。大学時代からの友人と電話していて、「最近、気になる人がいて」と口まで出かかった。でも、止めた。53歳の司書が、図書館に通ってくる利用者に片思いしている。言ったら笑われるだろう。「かわいいね」と言ってくれるかもしれない。でも、その「かわいいね」が怖かった。この気持ちは、かわいいなんて一言では片づけられない。胸が痛いほど、本物だから。

あの人の名前は貸出カードで知っている。住所も知っている。でも、それ以上のことは何も知らない。結婚しているのか。独身なのか。木曜の午後にいつも来るということは、平日が休みの仕事なのか。片思いの相手の気持ちが知りたい。でも聞けるわけがない。

半年が過ぎた。毎週木曜日にあの足音を聞いて、カウンターで本を渡して、「どうぞ」と言って、背中を見送る。それだけの半年だった。でも、志保にとってはその半年が、ここ何年かで一番、胸が動いた時間だった。

「片思い 相手の気持ち」と検索した夜

ある夜、布団の中でスマホを開いた。「片思い 相手の気持ち」と打った。恋愛コラムがいくつか出てきたけれど、どれも20代や30代に向けて書かれたものだった。53歳の片思いに答えてくれる記事は、どこにもなかった。

画面をスクロールしていたら、「電話占い」という言葉が目に入った。占いなんて興味がなかった。星座占いもタロットも、若い頃から信じたことがない。でも、「相手の気持ちを視ます」という一文に、指が止まった。相手の気持ち。それが知りたかった。あの人がカウンターで「お願いします」と言うとき、自分のことをどう思っているのか。ただの司書なのか。それとも、ほんの少しでも。

志保が夜中にスマホで見つけたのは、ここだった

※初回最大5分無料。24時間対応

電話の向こうで、声が温かかった

深夜、部屋の明かりを消して、スマホから電話をかけた。初回は5分間無料だった。5分だけでいい。この気持ちを、声にしてみたかった。

電話の向こうから、落ち着いた女性の声が聞こえた。志保は話し始めた。「53歳で、独身で、図書館で働いていて」。そこまで言って、少し詰まった。「気になる人がいるんです」。声に出したのは、初めてだった。心臓がうるさかった。

占い師は笑わなかった。「そうなんですね」と柔らかく受け止めてくれた。志保は話し続けた。毎週木曜に来る人のこと。借りる本が全部、自分が好きな本だったこと。カウンターで手が震えること。半年間、「どうぞ」しか言えていないこと。

話し終わったとき、涙が頬を伝っていた。泣くつもりなんてなかった。でも、半年間ずっと胸の中に閉じ込めていたものが、声になって出ていった。誰かに聞いてもらえた。笑われなかった。それだけで、胸のあたりがふわりと軽くなった。

占い師が言った。「53歳の恋は、恥ずかしいことなんかじゃないですよ。何歳になっても、人を好きになれるって、すごく素敵なことです」

その言葉が、電話の向こうから、まっすぐ胸に届いた。

もしあなたも、誰にも言えない気持ちを抱えているなら

片思いの相手の気持ちが知りたい。でも聞けない。友人にも言えない。この気持ちを軽く扱われるのが怖い。そんなあなたの話を、笑わずに聞いてくれる人がいる。声に出すだけで、自分の気持ちの輪郭が見えてくることがある。

声に出したら、気持ちが動き始めた

※電話・チャット対応。誰にも知られず相談できる

翌日は、木曜日だった。

午後2時。入口のドアが開く音がした。あの足音。柔らかい底のスニーカーが、床を踏む音。志保はカウンターに座っていた。今朝、鏡の前でいつもより少しだけ長く髪を整えた。でも今日は、前髪の分け目ではなく、自分の目を見ていた。

カウンターに一冊の本が差し出された。宮城谷昌光の『太公望』。志保が一番好きな一冊だった。釣り糸を垂れて、ただ待つ男の物語。何十年も、ただ待ち続けて、やがて時代が動く。

バーコードを読み取った。本を渡した。指が触れそうで、触れなかった。いつもならここで「どうぞ」と言う。でも今日は、違う言葉が口から出た。

「この本、私も好きです」

声が震えていたかもしれない。あの人が少しだけ目を見開いた。それから、笑った。今まで見たことのない顔だった。

「そうなんですか。嬉しいな」

それだけだった。あの人はいつものように頭を下げて、本を抱えて、出口に向かった。志保はカウンターの下で、自分の手を握りしめていた。心臓がうるさかった。顔が熱かった。たった一言。でも、半年間の「どうぞ」が、今日「好きです」に変わった。本の話だけど。本の話だけど、それでいい。

閉館後、書架の整理をしながら、志保は窓の外を見た。尾道の坂道の向こうに、瀬戸内の海が夕陽を受けて光っていた。来週の木曜日、あの人はまた来る。今度は何を話そう。『太公望』の感想を聞いてみようか。それとも。

53歳の片思いは、まだ続いている。恥ずかしくなんかない。昨日の夜、電話の向こうの人がそう言ってくれた。だから今日、一歩だけ前に出られた。明日は、もう一歩。