54歳、離婚して12年。一人分の惣菜に慣れたはずだった。後輩の結婚式で、涙が出た。

登場人物

浩美(ひろみ)、54歳。兵庫県神戸市在住。一人暮らし。30歳で結婚し、42歳で離婚した。子どもはいない。市内の損保会社で事務をしている。離婚して12年。一人暮らしに慣れたと思っていた。

スーパーの惣菜コーナーで、いつものように一人分のパックを手に取った。

きんぴらごぼうと、鮭の塩焼き。これだけあれば今夜は十分。カゴに入れて、レジに並んで、袋に詰めて、歩いて帰る。マンションの鍵を開けて、電気をつけて、テーブルにパックを並べる。テレビをつける。誰もいないリビングに、ニュースキャスターの声だけが響く。12年間、この繰り返しだった。

30歳で結婚して、42歳で離婚した

結婚したのは30歳のときだった。職場の先輩に紹介された人で、穏やかな人だった。派手なプロポーズではなかった。二人で神戸のハーバーランドを歩いているとき、「一緒にいてくれますか」と言われた。海を見ていた。風が少し冷たかった。「はい」と答えた。それだけの、静かな始まりだった。

12年間、一緒に暮らした。子どもはできなかった。悪い人ではなかった。暴力もなかったし、浮気もなかった。ただ、年を重ねるごとに、二人の間の空気が薄くなっていった。休日に同じリビングにいるのに、別々のことをしている。話すことが「今日の夕飯何にする」だけになった。ある朝、向かい合って朝食を食べているとき、浩美は思った。この人の隣にいる自分が、見えない。

話し合った。お互いに涙は出なかった。穏やかに別れた。憎しみはなかった。ただ、一緒にいる理由がなくなっただけだった。

12年間、一人分の惣菜で暮らしてきた

離婚してから、神戸の東灘区にワンルームのマンションを借りた。一人暮らしは最初こそ心許なかったけれど、半年もすれば慣れた。朝は自分のペースで起きて、夜は好きな時間に寝る。テレビのチャンネルを誰にも譲らなくていい。洗面台に自分の歯ブラシが一本だけ立っている。それが普通になった。

損保会社の事務の仕事は安定していた。週末は一人で六甲山を歩いたり、三宮の古い喫茶店でコーヒーを飲んだりした。友人と食事に行くこともある。寂しくない。そう思っていた。思い込もうとしていた。

でも、夕飯のテーブルに一人分の惣菜を並べるとき、ときどき手が止まることがあった。きんぴらごぼうのパックを開けて、皿に移す。箸を一膳だけ出す。テレビをつける。「いただきます」を声に出さなくなったのは、いつからだろう。一人で言っても仕方がないから、いつの間にか黙って食べ始めるようになっていた。

後輩の結婚式で、声が震えた

去年の12月、職場の後輩の結婚式に出た。三宮のチャペルで、後輩が白いウェディングドレスを着て泣いていた。新郎が隣で緊張した顔をしていた。後輩は28歳で、浩美が入社したときから面倒を見ていた子だった。式場の窓から冬の光が差していて、チャペルの中が白く輝いていた。

披露宴で「おめでとう」と言ったとき、声がわずかに震えた。自分でも気づいた。隣の同僚には気づかれなかったと思う。でも、グラスを持つ手が、少しだけ冷たくなっていた。

帰りのバスの中で、窓の外を見ていた。神戸の夜景がぼんやり流れていく。ルミナリエの季節が終わったばかりの街が、少しだけ暗く見えた。涙が出た。嬉しくて泣いたのか、寂しくて泣いたのか、自分でもわからなかった。ただ、あの白いチャペルの中で後輩が泣いている顔を見たとき、胸の奥で何かが割れた。12年間蓋をしていたものが、音を立てて開いた。

もう一度、隣にいる人が欲しい。

「結婚相談所 安い オンライン」と検索した夜

結婚式の夜から、その気持ちが消えなくなった。54歳で再婚なんて。もう遅い。そう思う自分と、まだ間に合うかもしれないと思う自分が、毎晩布団の中で交互に現れた。

結婚相談所を調べてみた。でも、初期費用が20万、30万とかかるところばかりだった。お見合い料も1回ごとに発生する。成婚料も。毎月の会費も高い。独身の事務職の給料で、それだけの金額を出す勇気がなかった。

ある夜、スマホで「結婚相談所 安い オンライン」と検索した。画面をスクロールしていたら、サブスク型のオンライン結婚相談所が出てきた。月額の定額制で、お見合い料がかからない。追加料金なし。スマホだけで活動できる。会員は9万人以上。独身証明書の提出が必須だから、全員が身元を明かしている。再婚の方も多く在籍しているとあった。

月額のサブスク。それなら、合わなければやめればいい。何十万もの初期投資は要らない。54歳の一歩を踏み出すハードルが、少しだけ下がった。

浩美が見つけたのは、ここだった

※サブスク型。お見合い料なし。再婚の方も多数

無料相談で、仲人の声が温かかった

無料相談を申し込んだ。オンラインで、画面の向こうに仲人の女性が映った。浩美は正直に話した。「54歳です。12年前に離婚しました。再婚なんてできるのか不安で」。仲人は笑顔で言った。「50代で活動されている方、たくさんいらっしゃいますよ。年齢よりも、どれだけ積極的に動けるかのほうが大事です」。

入会を決めた。スマホでプロフィールを作った。写真を選ぶのに、2時間かかった。どの写真がいいのかわからない。12年間、誰かに見せるために写真を選んだことがなかった。友人と撮った食事会の写真の中から、少しだけ笑っている横顔を選んだ。自然な顔がいいと仲人が言ってくれたから。

検索システムを開いた。9万人の会員の中から、年齢や地域や趣味で絞り込める。画面の中に、自分と同じように「もう一度」と思っている人がたくさんいた。独身証明書を出している人たちだ。全員が本気で、全員が本物だった。

初めてのお見合いの朝、クローゼットの前で30分迷った

入会して3週間。最初のお見合いが決まった。相手は56歳の男性で、同じく再婚希望。プロフィールに「休日は山歩きをしています」と書いてあった。六甲山を歩く浩美と、少しだけ重なった。

お見合いの朝、クローゼットの前に立った。何を着ていけばいいのか、30分間迷った。紺のブラウスか、白のニットか。スカートかパンツか。鏡の前で何度も着替えた。12年間、誰かのために服を選んだことがなかった。自分のためにしか鏡を見なかった。今日は違う。誰かに会うために、自分を整えている。その事実が、怖くて、嬉しかった。

もしあなたも、「もう一度」と思い始めているなら

一人の時間が長くなって、それに慣れたと思っていた。でも、ふとした瞬間に気づく。誰かの結婚式で、友人の幸せそうな写真を見て、一人分の惣菜をテーブルに並べるとき。もう一度、隣にいる人が欲しい。そう思ったなら、それはもう十分な理由になる。

もう一度、隣にいる人が欲しいと思ったなら

※スマホだけで完結。成婚平均7ヶ月

お見合いの場所は、三宮のホテルのロビーだった。約束の時間より10分早く着いた。ソファに座って、膝の上でハンドバッグを握っていた。心臓がうるさかった。12年ぶりだった。誰かと向かい合って、「はじめまして」と言うのが。

5分前に、男性が入ってきた。グレーのジャケットを着ていた。浩美を見つけて、少しだけ頭を下げた。緊張した顔をしていた。浩美も立ち上がって、頭を下げた。

「はじめまして」

声が震えた。でも、相手も同じだった。二人とも、少しだけ照れた顔をしていた。ああ、この顔を知っている。後輩の結婚式で見た、あの顔と同じだ。誰かの前に立つとき、人はこんな顔をする。怖くて、嬉しくて、まだ何も始まっていないのに、もう何かが始まっている。

1時間、話した。山歩きの話をした。六甲山の話をしたら、相手も六甲山が好きだと言った。コーヒーがぬるくなるまで話して、気がついたら笑っていた。12年ぶりに、誰かの前で、こんなに笑った。

帰りのバスの中で、窓の外を見ていた。神戸の夜景がぼんやり流れていく。去年の12月、同じバスで泣いた夜とは違う景色に見えた。同じ街なのに。涙は出なかった。代わりに、胸のあたりがほんのり温かかった。

家に帰って、テーブルに座った。今夜は惣菜ではなく、自分でパスタを茹でた。一人分。でも、いつもより少しだけ丁寧に皿に盛った。「いただきます」を、久しぶりに声に出して言った。